GID学会 第19回研究大会・総会の入場料問題の経緯と批判
このコンテンツは、2017年3月に札幌で開催される、GID学会の第19回研究大会・総会(以下、19大会とします。)への参加費に「当事者割引」が当初設定されていたことに端を発する問題の経緯とまとめを掲載したものです。
重大な問題をはらむ「当事者割引」は、その後撤回されましたが、撤回後の事務局は、とうてい理解に苦しむような対応を行ってきました。それに対する批判も、今後このようなごたごたが発生することのないよう、ここに合わせて記しておきます。
問題の経緯
- 2017年1月20日、米澤は19大会への参加を決め、往復の航空券を確保
- 2017年2月7日、Facebookへの投稿により、「医師・研究者・一般は8000円、当事者は5000円、学生(大学院生・初期研修医含む)は1000円」という参加費が設定されていることに米澤が気づく
- 同日、Facebookコメント欄などにおいて、関係者による議論が深まる。これを受け、3点の問題を整理(→公開質問状を参照)
- 2月10日、米澤が、19大会事務局(札幌医科大学泌尿器科)、19大会運営事務局(株式会社コンベンションリンケージへの委託)、ならびに学会事務局(岡山大学大学院保健学研究科中塚研究室)に対し、19大会事務局に回答を求める公開質問状を簡易書留郵便にて発送し、同時に電子メールを送信
- 2月14日、当初の参加費条件を記載したページが削除され、代わりに、公開質問状で問題とした「当事者割引」を廃した参加費条件のページが公開された
- 2月24日、米澤が公開質問状の中で設定した回答期限までに、19大会事務局、19大会運営事務局、学会事務局のいずれからも、何の連絡もなかった
- 2月27日13時、米澤が19大会運営事務局ならびに19大会事務局に架電。運営事務局は「公開質問状があったことは事務局に伝えた、それ以上のことは私たちがかかわることではない」との返答であり、また事務局は「担当のドクターが出張で不在のため、翌日改めて電話をほしい」との返答だった
- 2月28日13時、米澤が19大会事務局に架電。担当ドクターは外来診療中とのことだったが、事務方より、以下の2点が告げられた
- 担当ドクターは多忙なのでいつ電話に出られるかわからない
- この件は岡山大の学会事務局と打ち合わせをして決めたことなので、詳細は岡山大の方に尋ねてほしい、と担当ドクターから言われている
- 同日15時、米澤が学会事務局に対し、「明日13時に架電をするが時間が合わなければ連絡を欲しい」とのメールを送信
- 3月1日9時半、学会事務局から、「担当者は17時ころまで出張なのでその時間に直電をしてほしい、もし戻ってこられていなければこちらからそちらに架電する」との返信メールがあった
- 同日17時、学会事務局の中塚理事長に架電が通じ、参加費条件が変更になった経緯、および公開質問状への回答がなされなかった理由について説明を聞くことができた。米澤からは、今回の経緯についての批判、およびこの批判は公開するということを中塚理事長に告げ、その上で札幌でご挨拶しましょうとの同意を得た
- 3月2日、本コンテンツを公開
3月1日の直電における、中塚理事長と米澤とのやりとり
公開質問状到着から参加費条件変更までの経緯の説明
- 舛森大会長から中塚理事長に対し、メールで、「公開質問状が来たが、どうすればよいか?」と相談があった
- 中塚理事長は、質問状の原文にはあたっておらず、舛森大会長からのメールの中身でのみ、質問状の内容を把握した
- 学会事務局で過去の参加費を調べたところ、当事者枠があったのは2回だけとわかった
- 中塚理事長は、当事者の参加費を安くすることでのメリットもあるが、質問状に指摘されているデメリットも確かにあるし、当事者枠を設けた大会のほうが少ないのだから、今回も当事者枠を撤回してはどうか、と舛森大会長にアドバイスした
公開質問状への無回答の経緯
- 舛森大会長から中塚理事長に対し、「質問状への回答はどうすればよいか?」という相談もあった
- 中塚理事長は
「どう回答しても反論を呼びそうな問題なので、回答する必要はない」「文章を公開すると言われているし,どう回答しても反論を呼びそうな問題であり,文章だけでは真意が伝わらず,独り歩きする可能性もあるので,文章を送るのは待った方がよいかと思う」と返答した ※3/2 13:20、中塚理事長ご自身からのご指摘により置換
以上を踏まえて、米澤から中塚理事長へと指摘した批判
中塚理事長からの前記批判への応答
- 前2点については、どちらもおっしゃるとおりである
- 私が舛森ドクターに代わって回答するようにすべきだったとも思っている
米澤から中塚理事長への、通話の最後での言明
- 緊急度の高かった参加費問題じたいは少なくとも質問状が指摘した範囲では解消されている以上、こちらとしてはことを荒立てようなどとは思っていない
- 学会じたいの成功はもちろん願っている
- こういうことになった以上、私としては来年以降の大会にも参加をし、関わりたい
- ただ、この経緯についてはやっぱり問題なので、ネット上できちんと先生方への批判は公開させていただく
今回の問題の米澤による総括
まずなによりも、結果としては、あいまいな当事者定義、また当事者にカミングアウトと経済負担増を2択で迫るような当初の参加費条件の設定が撤回されたことに対しては、これを歓迎し、その決断に拍手を送ることは大前提です。
しかし、その決定の過程が明かされることなく、どころか意図的に質問への回答を回避したことは、学会の運営および学問の発展を阻害する、重大な問題であったこともまた、強調されなければなりません。
一般論として、学問の存在価値はいくつも挙げられるでしょう。しかしそこには、最低限の倫理として「扱う対象の関係者の声を聞きながら進めていく」姿勢と実態が必要ではないでしょうか。
そしてその『声』は、ときとして、学問のあり方と鋭角にぶつかることもあるものです。
そのときに学問の側がどういう立場を取るのか。まして、その学問が人間を直接の対象とするものであるときに、その声をどう受け止めるのか。これをきちんとしない学問は、それこそマスターベーションなのか、あるいは権力者の意のみを汲みそれに奉仕する目的なので声を無視してよいと考えているのか、いずれにせよ学問としての存在意義を厳しく問われて当然だと思っています。
また、学問の場に参加しようとするひとびとの中で、意見の対立がある場合も多々あるでしょう。そのとき、その集まりの中でどのように折り合いをつけていくのか。最良とはとうてい言えませんが、ひとつのヒントとして、これまでに人類が獲得してきた『民主主義』というシステムは参考になります。
そしてその民主主義では、意見を異にする者どうしが論戦を行う場合の、最低限の共通了解ルール、約束事、信義を守る、ということが大前提になります。これは、教員の介入がない生徒会、まともな学生自治会、まともな労働組合などを経験すれば誰にでもわかることです。また現在の日本の議会を見ていても、いろいろな「お約束」を守ったりときには破ったりして、破られたときにはそれじたいが紛糾して、ということが日常的に行われているわけです。
学問は、「研究対象からの批判にはきちんと向き合う」「民主主義のルールで運営する」ということなしには、社会の中に位置づかないし、それが守れないようでは学問失格です。
しかし今回、学会事務局は、以上のような問題意識が希薄なままに、誤りを冒しました。
- 研究対象たり得る参加者の参加資格というセンシティヴな問題について、非公開の場で決め、さらにそれを突然変更し、それらの根拠を明らかにしなかった。
- 米澤は今回の条件変更を歓迎しているが、「当事者割引がないのはおかしい」と考えている当事者がいるかもしれない
- その双方の立場を納得させられる条件は設定できないかもしれないが、であればこそ、判断の理由のていねいな説明は不可欠である
- 判断の経緯が不透明のままであるならば、次回大会以降もまた同じ問題が繰り返されるリスクはきわめて高くなる、と考えられても仕方がない
- 公開質問状への回答をいっさい行わなかった。
- 多忙であり、米澤が設定した期日が厳しいのであれば、その旨だけでも期限内に回答するのが「論争における最低限のルール」である
- もう指摘されている条件を変更したのだから回答は不要、ということであっても、その旨は伝達するのが「論争における最低限のルール」である
- それらすらせず、かつ「回答は電子メールでも可」とされていたのにメールすらしないことは、質問者にとっては「相手が民主的な解決を自ら放棄し、喧嘩を売ってきた」状態にしか見えない
そして、19大会事務局もまた、誤りを冒しました。
- 大会主催者としての運営ルールを自ら考えることなく、すべてを学会事務局に丸投げした。
- GID学会の存立基盤のひとつである「診断と治療のガイドライン」を決議した日本精神神経学会の大会の歴史をひもとけば、まさに「会議は多数の傍聴者にとり囲まれ、ヤジと怒号が飛び交う異常な雰囲気の中で行われ、一部に暴力行為もみられた」という厳しい経験がある
- 本来、特に、特定の人間を対象とする研究の学会においては、上記のような状況すらあり得る、という緊張感を持ち、自らの専門領域に直接関係しないとしても、当該学会の研究対象について思いを馳せ、またあらゆる運営を民主的に行う努力をすることは、研究者としての絶対的な義務であるはずである
- しかるに、19大会事務局は、そのような努力を主体的に行うこともせず、すべてを学会事務局に丸投げする姿勢であった、と言わざるを得ない
各事務局のドクターのみなさんの、これまでの善意にもとづく献身的な努力は大きなものです。しかし、研究者は研究だけしていればよい、直接出会った研究対象ないし「治療」対象の個々人が喜べばそれでよい、というのは明確に誤りであり、それは学問の傲慢ですらある。それは、どのような研究でも、その結果かえって苦しめられる研究対象が現出しかねないからです。これらのことはいくら強調しても強調し足りないのだな、ということを、今回の経緯から学ぶことができます。
今回の大会が成功することを祈念すると同時に、今回のこの問題をしっかりと総括し、次回大会以降はこのようなことがないよう、両事務局にお願いさせていただきます。