GID学会 第19回研究大会・総会の入場料問題の経緯と批判

このコンテンツは、2017年3月に札幌で開催される、GID学会第19回研究大会・総会(以下、19大会とします。)への参加費に「当事者割引」が当初設定されていたことに端を発する問題の経緯とまとめを掲載したものです。
重大な問題をはらむ「当事者割引」は、その後撤回されましたが、撤回後の事務局は、とうてい理解に苦しむような対応を行ってきました。それに対する批判も、今後このようなごたごたが発生することのないよう、ここに合わせて記しておきます。

問題の経緯

3月1日の直電における、中塚理事長と米澤とのやりとり

公開質問状到着から参加費条件変更までの経緯の説明

公開質問状への無回答の経緯

以上を踏まえて、米澤から中塚理事長へと指摘した批判

  • 回答がなければ当然質問者はこうやって経緯を調べた上で、回答がなかったことを公開し批判するだけなので、正直、反論を何も回避できていないのではないか?
  • 人間を研究対象とするような学会では、研究対象からいろいろな意見が出るのが当然で、それに対しては民主主義的に対応するのが当然なのに、回答しないというのはあまりにひどい
  • 私が加入している合同労組では、申し入れに対して無回答などということをしてくるのは極悪経営者だけである
  • 中塚理事長からの前記批判への応答

    米澤から中塚理事長への、通話の最後での言明

    今回の問題の米澤による総括

    まずなによりも、結果としては、あいまいな当事者定義、また当事者にカミングアウトと経済負担増を2択で迫るような当初の参加費条件の設定が撤回されたことに対しては、これを歓迎し、その決断に拍手を送ることは大前提です。

    しかし、その決定の過程が明かされることなく、どころか意図的に質問への回答を回避したことは、学会の運営および学問の発展を阻害する、重大な問題であったこともまた、強調されなければなりません。

    一般論として、学問の存在価値はいくつも挙げられるでしょう。しかしそこには、最低限の倫理として「扱う対象の関係者の声を聞きながら進めていく」姿勢と実態が必要ではないでしょうか。
    そしてその『声』は、ときとして、学問のあり方と鋭角にぶつかることもあるものです。
    そのときに学問の側がどういう立場を取るのか。まして、その学問が人間を直接の対象とするものであるときに、その声をどう受け止めるのか。これをきちんとしない学問は、それこそマスターベーションなのか、あるいは権力者の意のみを汲みそれに奉仕する目的なので声を無視してよいと考えているのか、いずれにせよ学問としての存在意義を厳しく問われて当然だと思っています。

    また、学問の場に参加しようとするひとびとの中で、意見の対立がある場合も多々あるでしょう。そのとき、その集まりの中でどのように折り合いをつけていくのか。最良とはとうてい言えませんが、ひとつのヒントとして、これまでに人類が獲得してきた『民主主義』というシステムは参考になります。
    そしてその民主主義では、意見を異にする者どうしが論戦を行う場合の、最低限の共通了解ルール、約束事、信義を守る、ということが大前提になります。これは、教員の介入がない生徒会、まともな学生自治会、まともな労働組合などを経験すれば誰にでもわかることです。また現在の日本の議会を見ていても、いろいろな「お約束」を守ったりときには破ったりして、破られたときにはそれじたいが紛糾して、ということが日常的に行われているわけです。

    学問は、「研究対象からの批判にはきちんと向き合う」「民主主義のルールで運営する」ということなしには、社会の中に位置づかないし、それが守れないようでは学問失格です。

    しかし今回、学会事務局は、以上のような問題意識が希薄なままに、誤りを冒しました。

    そして、19大会事務局もまた、誤りを冒しました。

    各事務局のドクターのみなさんの、これまでの善意にもとづく献身的な努力は大きなものです。しかし、研究者は研究だけしていればよい、直接出会った研究対象ないし「治療」対象の個々人が喜べばそれでよい、というのは明確に誤りであり、それは学問の傲慢ですらある。それは、どのような研究でも、その結果かえって苦しめられる研究対象が現出しかねないからです。これらのことはいくら強調しても強調し足りないのだな、ということを、今回の経緯から学ぶことができます。

    今回の大会が成功することを祈念すると同時に、今回のこの問題をしっかりと総括し、次回大会以降はこのようなことがないよう、両事務局にお願いさせていただきます。